Juniorです。
スクーリングパッド農業学部の授業がいよいよ始まりました。
Link : スクーリングパッド
http://www.schooling-pad.jp/ここでは、実際の生産者の方からメディアの方や政府関係の方まで、日本の農業に携わる方々を講師
に招いて、日本の農業の今後のあり方を考えていきます。
第一回目の講師は「増刊現代農業」という雑誌を刊行されている甲斐さんでした。
Link : 現代農業を発刊している 社団法人 農山漁村文化協会
http://www.ruralnet.or.jp/index.html甲斐さんの主張は僕にとっては非常に新鮮でした。
■昔から、百姓というのはその言葉の通り、別に農業だけをやってきたわけではなく、農業以外にも家を直したり物をつくったりして、様々な仕事をしてきた。
■その基本に立ち返り、農業という単体の産業での収益化を目指すのではなく、地域の中で生み出されたお金がきちんと地域の中で使われる仕組み全体を考えるべき。
■日本の農業の力が弱くなってしまったのは、国の政策で単作による合理化を進めた結果、農業を中心とした地域の様々な収益化の可能性を狭めてしまったから。
■以上の理由で、今後は都会と地方をつなげるような取り組み、例えば医療やレジャーと農業を組み合わせて他の地域からも人を呼んできて、全体で収益化を目指すような取り組みが増えていくことに期待している。
なるほど。
僕を含めて、一般的には「日本の農業は合理化/効率化/大規模化が遅れているから収益化ができない」というように思っている人が多いのではないかと思います。
しかし、甲斐さんの主張の根底には、元々日本の農村というのは非常にサイズの小さい集団単位であり、そこでは伝統的な人間関係に基づく住民自治やリーダーシップによって社会が構成されているのだから、それを無理に崩すことなく、その単位の中で住民の生活をまかなえるホリスティックな経済圏をつくる方が合っている、という日本の農村社会についての考え方があると思います。
これは、農作地帯を単なる生産の場として捉えない、その住民の生活に目を向けた考え方です。
農村地帯がその周辺の生活者と都会の生活者に対して価値を提供し、その対価として収入を得るという仕組みは、農業を軸にしつつも今後も様々な発展の可能性があると思いました。
日本の産業資本主義の発展期には、農村は労働力を搾取されながらも日本経済全体の発展に貢献しました。ポスト産業資本主義の現代において、再度農村が日本社会に対して大きな貢献を行う時期に来ているかも知れません。
実際にどのような価値交換が行われているか、甲斐さんに事例を紹介してもらったので、これからもう少し詳しく見て行きたいと思います。
スクーリングパッド事務局による詳しいレポートはこちらから。
http://www.schooling-pad.jp/report/2008/05/post_179.html#授業は毎回おいしいお米を実際に教室で炊いて、それを食べながらみんなで聴講をします。