2008年9月16日

ファブリス・イベール 「たねを育てる展」

報告が遅くなりましたが、ワタリウムで8/31までやっていた、ファブリスイベールというアーティストの展覧会に行ってきました。

http://www.watarium.co.jp/exhibition/0804fab/index.html


これは食べ物や農作業をテーマにした展覧会で、通常のアート展覧会にはない面白い試みがいろいろとありました。

美術館のフロアをまるまる草原にして、その官能的な触感や空気を味わったり。


外とつながる管を通して、美術館の中でミツバチを飼ったり。

アートで街をやさい畑にするプロジェクトとして、美術館近くのお店に協力してもらって、歩道の土の部分に野菜を植えたり。

神宮前のビルが建つことが決まっている土地を使って、野菜を育てたり。

コンセプトがすごく斬新で、トークショーなどのイベントもたくさんあったようです。
ただ、アーティスト自身がケアしなくなってからは、あまりケアがされなかったようで、正直なところ、会期の最終日に僕らが行ったときには、野菜は枯れ気味でした,,,。

せっかく空き地に植えたにんじんも、あまり育っていませんでした。さびしい気分です,,,。

でも、展覧会を見終わって、いろいろ考えていくと、「むしろこれでいいのでは?」と思ってきました。

たとえば、イベールがつくっていた野菜や果物をつかったマネキンは、常温で保存していたため、当然腐り、匂いを発していて、少し嫌な気分がしましたが、本来はそれこそが自然な姿です。

「アート作品は静的に固定されたもので、時間の流れに影響を受けない」ということこそ、我々の勝手な思い込みです。

それと同じように、「野菜や果物は植えた以上、見事に成長して実らなければならない」というのも我々の勝手な思い込みで、当然失敗することも、枯れることも、偶然うまくいくこともあるでしょう。

それら全てが生きているものと向き合うことの結果であり、価値であり、意味でもあります。

うまくいってもいい。いかなくてもいい。不味い野菜ができてもいい。それくらいの気分で、もっとフリースタイルに農を生活の中に取り込むことは可能なはずです。きっと、不味くても、自分がつくった野菜なら、食べられないはずはありません。

田舎でプロの農家がつくるのとは違うのは当たり前だし、むしろ田舎でプロがつくる野菜だけを野菜と呼ぶことこそ、食べ物や農についての解釈を狭め、自分たちの責任を放棄する考えにつながるのではないかと思います。

ちょうど美術館の前にも、小さく実をつけている野菜がありました。
これだけでちょっと嬉しくなることこそ、都市の中での農の醍醐味かも知れません。

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